記事作成日:2024/11/16
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本記事では、ミュージカル『モーツァルト!(Mozart!)』の公式紹介文を一部翻訳して紹介しています。ここで言う公式とは、ウィーンの劇団であるVereinigten Bühnen Wien(通称:VBW)のことです。VBWはウィーンにあるTheater an der Wien、Raimundtheater、Ronacherという各劇場の運営及びミュージカルの制作を行っており、『Mozart!』もそもそもはこの劇団のオリジナル作品として作られたものでした。それでVBWのウェブサイトでは『Mozart!』を紹介する記事が幾つか公開されているため、ここでそれを翻訳して紹介しようというものになっております。ここでは、あらすじに関する箇所のみ訳出しております(読みにくいかもしれませんが、故意にだいぶ逐語訳寄りで訳出しています)。原文までここでは掲載しておりませんので、各々、各参照先を参照していただければと思います。
また、過去に一部の曲の歌詞およびリブレットに寄せられている前書きを翻訳した記事も作成しております。
参考サイト:
翻訳
翻訳文中の〔〕は、訳文を補足するためにこちらが書き加えて文章として整えたものとなります。また、原文の単語のニュアンスをより厳密に表現するためにも用いたりしています。
訳文は極力原文の内容を忠実に訳出することを優先したため(尚且つ、可能であれば原文を読む際の補助的立場になるために)、故意に逐語訳寄りにしています。このため、単純に文章としてはかたさが目立つものになっているかと思います。
1999年版
典拠:『VBW公式サイト』-「Mozart! 1999」(最終アクセス日:2024/09/18)
INHALT(内容について)
このミュージカル『MOZART!』はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの伝記に基づく〔作品である〕。その核心には天才的な芸術家がいる。〔彼は、〕音楽家として、〔そしてまた〕人間として花開くことができるように、専制的なものを好む彼の父親と彼〔の自立性を認めずに〕監督下に置こうとするシステムから自らを解放しなければならない。ミヒャエル・クンツェはモーツァルト〔が〕独立のため〔に行うこの〕奮闘の中で特に「成長すること」についてのドラマを描いている。一つのドラマとして、本作はわれわれにあらゆるものを委ねるものとなっているのである〔※または「私たちの誰もが知っている〔=身に覚えのある、程度のニュアンスか〕、一つのドラマである」〕。
しかし、モーツァルトにとっては〔他の〕多くのものたちよりも〔それ〔※才能〕は〕より重苦しいものだったのである。ところが、彼の父親と〔彼の才能に〕驚嘆した世界とは、子供らしさの理想的極致としての最高〔形態〕〔※または「模範、真骨頂、権化、化身〕であると彼のことを解釈したのであった。小さくて愛くるしい陶器の子供。それが彼の表向きの〔存在の在り方〕であり、大人になっても未だに〔それが〕一個の影のように〔なって彼に〕付き纏うもので在り続けていた。このミュージカル『Mozart!』の中では本当にそうしたものとして為される〔=表現される〕のである。それは二人のモーツァルトとして提示される。人間であるウォルフガングと、天才アマデ〔という形で〕。この幼いアマデは成長したモーツァルトの人生の中のいたるところに存在している。
『Mozart!』──このミュージカルは、一個の型にはまったものになった歴史的な人物を、〔大衆に迎合して〕通俗化した〔状態〕や偶像〔状態になっている状態〕から解放したい〔と考えている〕。そういったものを〔見つめ直し〕、こんにちの観点から新しいものを見つけ出すということ〔によって、それを成したいのである〕。
2015年版その1
典拠:『VBW公式サイト』-「Mozart! 2015」(最終アクセス日:2024/09/18)
Ein Drama des Erwachsenwerdens(「成長すること」に基づくドラマ)
核心となるところには卓越した芸術家が位置している。〔彼は〕音楽家そして人間として最終的には〔才能を〕伸ばして〔咲き誇ることが〕できるようになるため、専制的なものを好んでいる父親の〔束縛〕から自分自身を解放し、家族そして〔自分を〕支配し監視下に置こうとする社会のシステムから逃れよう〔としている〕。──〔つまり本作は〕「成長すること」に基づくドラマなのである。
Inhalt(内容について)-Ein Rock-Star zu Zeiten des Rokoko(ロココ時代における一人のロックスター)
ロココ時代における一人のロックスター
核心となるところには卓越した芸術家が位置している。〔彼は〕音楽家そして人間として最終的には〔才能を〕伸ばして〔咲き誇ることが〕できるようになるため、専制的なものを好んでいる父親の〔束縛〕から自分自身を解放し、家族そして〔自分を〕支配し監視下に置こうとする社会のシステムから逃れよう〔としている〕。──〔つまり本作は〕「成長すること」に基づくドラマなのである。〔※ここまで上記の記述文の繰り返し〕
モーツァルトは二つの外形を持って姿を見せる。人間であるヴォルフガングと天才アマデとして。この小さくて愛くるしい陶器の子供、〔つまりヴォルフガングの幼少期の姿を映した〕アマデ〔として〕表向き〔表現される存在〕は、成長したヴォルフガングのことを未だに追い回している〔※「追いかける」の語彙には「責め立てる、悩ませる、どこまでも辿る」という意味もある〕。まるで一つの影のように。この幼いアマデはモーツァルトという男の人生の中のあらゆる所に存在し続けたままでいるのだ。──彼〔=ヴォルフガング〕自身と観客だけが彼のこと〔を実際に〕見ることができるだけだとしても。
この奇跡の子アマデは絶え間なく作曲し続けていて、〔その間、〕成長した〔彼=ヴォルフガング〕はトランプ遊びをしていたり、酒を飲んでいたり、恋をし、生きて、「慣習」という牢獄から思い切って脱出してしまおうということ〔に身を賭すこと〕を繰り返しているのである。
Erfolgsgeschichte(積み重ねた成果)-Eine Eigenproduktion kehrt zurück(自社生産〔※要は、オリジナル作品を制作すること〕に回帰する)
『Mozart!』、このミュージカルは、ミヒャエル・クンツェとシルベスター・リーベイという成功している二人組の羽ペンから〔生み出された作品で、〕世界的な音楽家である、かの歴史上の人物、クラシック音楽界の一個の伝説に光を当てている。ここではモーツァルトは卓越した才能のある芸術家として提示されているが、「それにもかかわらず」というよりも、まさに「そうであるからこそ」、〔彼は〕人生の単調な挑発〔※または「挑戦」〕と戦う〔ことになったのである〕。
『Mozart!』──〔本作は〕成長することに関する一つのドラマ──は、〔大衆向けに〕通俗的されたり偶像にされることで型にはまったものとなった歴史上の人物を解放しようとするものである。
全七カ国(オーストリア、ドイツ、日本、スウェーデン、韓国、チェコ、ハンガリー)で数多くの一連の公演が〔行われ〕、既に190万人以上の観客たちが世界中で〔本作品を鑑賞したという実績を〕経た〔後、本作は来た道を〕引き返した。このVBWのオリジナル作品〔※厳密には「自社製作物」〕は2015年の秋に自分が初演〔を行った場所へと〕帰ってきたのである!
それに加え、このミュージカルは新曲を通じて──「モーツァルト」と「コンスタンツェ」との間で〔歌われる〕恋人たちのデュエットである〔※他にも新曲はあるが、ここでは「Wir zwei zusammen(訳:私たち二人で一緒に)」のみを特筆しているようである〕──執筆者であるミヒャエル・クンツェ(台本・歌詞)とシルベスター・リーヴァイ(音楽)の手によって〔さらに〕豊かなものとなった。27人から成るオーケストラの音楽の指揮はVBWの音楽監督であるコエン・ショーツが引き継いでいる。
ワールドプレミアを成功へと導くチーム!
尚且つ、今回もまたワールドプレミアを成功へと導くことを叶えたチームとして〔以下のメンバーが挙げられる〕。ハリー・クプファー(演出)、ヤン・タックス(衣装)、デニーズ・キャラハン(振付)そしてハンス・シャヴェルノッホ(舞台装置)〔、つまり彼らが本作の成功を〕手に入れることになった〔メンバーなのである〕。そしてまた、〔以下のようなメンバーもいることを特筆しておく〕。ユルゲン・ホフマン(照明デザイン)、トーマス・シュトレベル(音響デザイン)そしてトーマス・ライマー(映像デザイン)。〔どの公演にも〕共通して『Mozart!』には新しい枠組みが〔持ち込まれることに〕なったのだが〔※多分、世界各地で公演されるにあたってそれぞれの公演で作品の再解釈がされた上で公演されたということかも?〕、特にウィーンにおいてはそれは脚色され、ライムント劇場の舞台上に持ち込まれることになった〔※つまりこの2015年版として新たに演出し直したもののこと。この新たなウィーン版は例えば日本版の演出と比べると分かるように大きく異なったものとなっている〕。
2015年版その2
典拠:『VBW公式サイト』-「Mozart! - Heart Blood of a Troubled Genius」(最終アクセス日:2024/09/18)(※2015年版の特設紹介ページで、これのみ英語で紹介されている。)
Mozart! - Heart Blood of a Troubled Genius(「『Mozart!』──問題を抱えた才能の血を流す心)
将来がこの上なく輝くものとして〔期待されていた〕神童
強烈な輝きと自己破壊との間で引き裂かれた人生
自分自身の創作の才能によって殺された音楽〔の世界の〕伝説
Introduction
〔本作は〕世界的に有名なオーストリアの作曲家であるヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの伝記に基づいたこのヒット作は、VBW〔※「Vereinigte Bühnen Wien」の略。ウィーンに拠点を置くミュージカル制作会社で、『Mozart!』はここのオリジナル作品の一つ。〕が或る伝説に新たな光を当てることで製作されたものである。定着した陳腐な筋からは遠く離れ、『Mozart!』は、複雑で曖昧〔※「二通り以上の解釈の余地がある」のニュアンス〕な人物としてあの輝ける芸術家を表現するものとなっている。人生の残酷さに挑みもがいている間、自分自身の才能に付き纏われる〔※「よく姿を現す、ずっと悩まされる」の語彙でもある。〕〔人物として〕。
歴史的な伝記をミュージカルの概念と統合させるという、VBW〔がこれまでの蓄積の中で築き上げてきた、〕成功したやり方を基礎に置きながら、『Mozart!』では、規格外のミュージカル作品の主人公として、オーストリアの豊かな歴史の中にいる〔これまでのVBW作品とは〕別の著名人を登場させた。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)である。この人物は歴史上において最も著名なクラシック音楽の作曲家であり、〔彼は〕その優れた技によるメロディーと途方もない生活スタイルのために〔招かれた〕破廉恥さ──多くの点で現代のポップスターアーティスト〔のそれ〕を思い出させる──で有名〔な人物である〕。この人物は、前例のない、熱狂的〔で慌ただしく〕素早いキャリア〔を築いた〕後、僅か35歳で早過ぎる死を迎えた。
『エリザベート(1992年)』に続き、尚且つ『ルドルフ──マイヤーリングの情事(2006年)』には先立つ作品として、『モーツァルト!〔※1999年初演〕』は、〔それら二作品とも〕関連する物語としてのアイデアをベースとして持つものとなっており、主人公は自分を取り巻くこの世界に〔溶け込むことなく〕衝突する人物として〔作品上に〕打ち込まれる者となっている。18世紀の歴史上の世界として設定されてはいるものの、21世紀の観客たちは問題なく瞬く間にその核となる主人公が直面する障害に共感することになるだろうし、数多の見慣れた要素を自分たち自身の人生経験の内に認めることにもなるだろう。『Mozart!』は何人たりとも逃れることはできない宿命《fate》──〔つまりは〕成長していくことと老いていくこと──を取り上げる〔作品であり〕、従って、時代を超越して〔人の心を動かし〕感動させる物語〔となっているのである〕。
『Mozart!』は──ロココ世界のロックスターである。このスタイルたち〔=ロックとロココ〕の衝突は、ミヒャエル・クンツェとシルヴェスター・リーヴァイの大ヒットミュージカルの中から〔そうした要素を〕取り込むという手法〔を用いて一つに〕概括する〔ということを通して生み出されたものである〕。この、和解し合うことのないもの同士の対立〔※「小競り合い、戦闘」のニュアンス〕は──〔つまり〕「過去」と「現在」は──主人公の曖昧さを反映している。モーツァルト、この人間〔※または「男」〕は、ザルツブルクでの人生の定形化〔※厳密には「しきたり、慣行」の語彙〕のために息苦しさを感じている。このために一人の芸術家〔でありながら〕、彼は、貴族階級のために奉仕する、お仕着せ服を着た太鼓持ちの従僕の域を出ることはない〔存在となってしまっているのである〕。だが、彼は、芸術家としてそして一個人として自分自身の人生を自由に生きることを強く希求している。〔このために彼は〕夢を見、酒を飲み、カード遊びをし、愛を追い求め続けるということをし続けている。アマデ、この神童は、彼のかつて〔の姿であり〕、彼の才能の人格化〔※「演出、扮装、ものまね」の語彙なので、「ヴォルフガングと観客たちに目に見える形として仮の姿を持って現れたもの」とも解釈できる。〕したものであり、「陶器の子供」として出没している〔※「絶えず心に浮かぶ、(幽霊などが)出没する」の語彙〕ように見せかけ〔※「(装った)様子、見せかけ、うわべ」身なり」の語彙〕ながら彼の後を容赦なく追い回してほとんど暇を与えずに音楽を〔彼に〕書かせている存在であり、彼と観客にしか〔その姿は〕見えていない〔存在でもある〕。
このスリリングな心理的曖昧さはシルヴェスター・リーヴァイのミュージカル・コンセプトによって大いに強調されるものとなっている。楽譜《スコア》は強力なモダンスタイルと結合している。例えば、バラード〔※20世紀になって生まれた音楽ジャンル〕、ラグタイム〔※19~20世紀初頭にかけて生まれたアメリカの音楽スタイル〕やロックといったものがモーツァルトの手による優美なオリジナルのロココの主旋律と共に〔結び付くという形で〕。アマデ、〔つまり〕モーツァルトを絶えず悩ませ付き纏うもの、子供の〔姿をした〕もう一人の自己《アルター・エゴ》、〔そうした存在が〕ピアノの前に座り、演奏したときには必ず〔音楽はそのように結合した形で現れるのである〕。
人口に膾炙した神話や「天才モーツァルト」といったものに焦点を当てる代わりに、このミュージカルは、伝説的な作曲家を、欠点があって、もろくて、それ故にこそ〔直に触れているように錯覚できるほどに〕ひどく実体のある人間として存在している〔ものとして〕示すものとなっている。『Mozart!』は、モーツァルトという人物を、彼〔という存在に〕付着している陳腐な表現〔※「使い古された決まり文句、個性のないもの」の語彙〕やうわべだけの崇拝から解き放つことを目標として設定している。そしてまた、この〔作品の〕観客たちが、劇場を出て行くときに、「モーツァルト」〔という人物について〕垣間見たもの、〔そこで捕らえた〕ものを、〔彼は〕まるで生きていて呼吸している人物であるかの如くリアルな人間であったのだということを感じ取ることができるようにしている〔作品なのである〕。
Success Story & Production Notes
世界中で320万枚を超えるチケットが売れ
10カ国、8カ国語で上演
歴史上の傑物によって具現された時代を超越した主題
このショーは、世界的に有名な舞台監督であるハリー・クプファー(ベルリン・コーミッシェ・オーパー〔※ベルリンにある歌劇場の名前。クプファーはここの首席演出家に就任していた。〕〔所属〕、11カ国で〔合わせて〕220以上の〔作品を〕演出した)の下で1999年10月にウィーンにあるアン・デア・ウィーン劇場で初演された。〔この公演は〕2001年5月まで公演した。
現在に至るまでに、ベルギー、中国、チェコ共和国、ドイツ、ハンガリー、日本、韓国、リトアニアそしてスウェーデンにいる320万人以上の観客たちが〔こうして〕上演されたものを通して、モーツァルトの内面に〔存在する、人間味のある〕個人的なものと芸術的なものとを解き放つためのその足掻きに魅了された。
この主題の特定の時代に囚われなさと調和するため、コスチュームも過去と現在との間を〔結び付けるものとして〕形作られている。この歴史に基づいている衣装は、本格的なものでありながらもやや凝り過ぎ〔てけばけばしいところがあるものとなっている〕。そしてその一方で〔主人公である〕モーツァルト自身は若々しいモダンスタイルの衣装を身にまとって登場する。この〔舞台の〕セットは、国際的に賞賛されている〔舞台〕セットデザイナーであるHans Schavernoch〔※日本語での読み方がよく分からないため、原文ママで表記しておく〕(ウィーン国立歌劇場〔所属〕、〔代表的な関連作品に〕『FREUDIANA〔※1990年初演、フロイトを扱った作品〕』〔がある〕)によるものであり、〔その彼によってセットは〕このショーのダイナミクスに沿う形で、暗さ、何もない舞台そして色彩豊かなきらきらと輝く宮殿、街路、公式的な〔場所の〕部屋や庭との間を行ったり来たりを繰り返しながら、観客たちを〔舞台芸術という〕魔法がかけられた世界の中へと運ぶものとなっている。
Author / Composer
ミヒャエル・クンツェとシルヴェスター・リーヴァイ:
『Mozart!』を創り上げた、この音楽の立役者たち。
ミヒャエル・クンツェ
国際的に成功している作家であり、リブレット作者であり、彼の〔生きる〕時代の中では最も重要〔な人物〕だとも言えるドイツ語の作詞家である。『ELISABETH』によって彼はミュージカルの演劇界および楽劇〔に関し、〕新たなヨーロッパの形式を率先して〔生み出した〕。〔そしてその後も〕『DANCE OF THE VAMPIRES』、『MOZART!』、『REBACCA』そして『MARIE ANTOINETTE』と『LADY BESS』とその成功は続いている。彼は、また、世界的にヒットしたミュージカル作品のドイツ語版〔リブレットも〕書いた。例えば、『EVITA』、『CATS』、『THE PHANTOM OF THE OPERA』、『A CHORUS LINE』、『LITTLE SHOP OF HORRORS』、『THE LION KING』そして『MAMMA MIA!』、『DON CAMILLO & PEPPONE』や『MATTERHORN』などである。彼は数えきれないほどのドイツ・ポップのヒット曲を書くだけには留まらず、数多の国際的な大ヒット作品をも書き、グラミー賞とエコー章〔※ドイツの音楽賞〕のどちらをも獲得している。
シルヴェスター・リーヴァイ
ピアニスト、編曲家、作曲家そして指揮者。彼は長年の相棒であるミヒャエル・クンツェと共に〔以下の〕ミュージカル作品を生み出した。『ELISABETH』、『MOZART!』、『REBACCA』そして『MARIE ANTOINETTE』である。この二人組の最初のミュージカル作品は、1990年〔に発表し、〕かなりの大成功を収めた『HEXEN HEXEN』だった。ミュージカルに集中する前には、彼は、エルトン・ジョン、ドナ・サマー、ハービー・マンそしてシスター・スレッジのためのヒット曲を作曲し、プロデュースしていた。彼はシルバー・コンベションの全米ナンバーワンヒット曲『Fly, Robin, Fly』によってグラミー賞を勝ち取り、ジョージ・ルーカス、スティーブン・スピルバーグ、マイケル・ダグラス、チャーリー・シーン、シルベスター・スタローンそしてウーピー・ゴールドバーグのようなハリウッドの偉人たちと共に100を超えるアメリカのテレビ番組や映画で仕事をしてきた。
Main Characters
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
モーツァルトは、彼が訓練された礼儀正しい〔人間に〕なるようにと躾けられていた神童アマデを通した子供〔時代〕の〔その〕自分の過去〔のせい〕で身動きが取れなくなっている。今では、一人の大人の男になった彼は、自分を己の所有物として扱う父親から、芸術的自由と〔束縛からの〕解放を必死になって〔※または「破れかぶれで」というニュアンスを含む〕探し求め、野放しで自由奔放な人生を生きている。それにもかかわらず、彼は未だに父親の許可〔※または「賛同」〕を必要としており、その手紙の冷たさと理解力の欠如によって〔心が〕蹂躙されている。モーツァルトは、衝動的で、下品で、強情で、雑然としていて無礼な、だがそれだけではなく純粋〔※または「無邪気、世間知らず、未熟」。〕な〔人物でも〕ある。例えば、彼は自ら進んで自分の妻の貪欲な親類であるところのウェーバー家に利用されるがままに〔振る舞ったりもするのである〕。
アマデ
この「陶磁器の子供」──モーツァルトの天賦の才の化身〔※または「象徴」〕──は、この作曲家の不変なる〔※または「休みなく続く、不断の、ゆるぎない、忠実な」〕影であり、〔彼自身は〕決してしゃべったり歌ったりすることはなく、〔ただ〕不気味に静まり返ったままで居続ける〔存在である〕。アマデはほとんど常に〔※「一生、永久」のニュアンス〕音楽を書くのに忙しくし続けており、大人のモーツァルトが何をしていようが〔それが重要なことだと思うことはなく、〕関心を持つことはない。モーツァルトの〔この〕天賦の才は、この世界の荒涼とした現実の中で、〔彼を〕阻害するものにも助けるものにもそのどちらにもなるものなのである。アマデは彼の父親の影響力を振り払うことや、コロレド大司教によって束縛へと押さえ付けられようとすることから逃げ出すための助けになりはしない。彼は、非良心的に金を巻き上げる者たちや甘言を弄する取り巻き立ちから彼を保護するため、彼に作曲させようとしている〔※それを試みるが失敗しているというニュアンスがここにはある〕。アマデはモーツァルトから間断のない要求〔※「差し迫った必要、ねだり」のニュアンス〕を生じさせ、その生命の源である血液を用いながら〔曲を〕書いている。──彼が彼のことを文字通りの意味で実際に殺してしまうまで。
レオポルト・モーツァルト
彼自身はほどほどに成功しただけの作曲家といったところである。モーツァルトの父親としては、所有欲が強く、暴君的な性格をしており、〔仕事を割り当ててくる〕厳しい親方であり、若い日のアマデを完全に使い果たして消耗させたといえるほどまで〔自分の子供を酷使し〕追い込んでいる〔人物である〕。その後、彼はモーツァルトをザルツブルクから去る許可を与えたことに対して深い後悔の念に引き裂かれるようになり、彼〔=モーツァルト〕はこの邪悪な世界にとってはひどく馬鹿正直〔で騙しやすい〕存在なのだと感じている。彼は息子〔※原文ではhimで表現されている〕に対し、自分が本当に感じていることは隠しておくこと、規則に従って〔責任意識を持って生きること〕〔※直訳では「ラインに足先を向けておく」の意味〕を助言する。彼は自分の息子が成功することを望んではいるものの、その上で自分自身の財務状態〔にまつわること〕や社会的に有益に〔なれること〕を動機にして〔息子に関わろうともしているのである〕。彼は、モーツァルトが二度とザルツブルクへは戻って来ないかもしれないという考えに激しく失望させられており、〔そしてまた、もし〕ひとたびでも自分の息子が成功を得れば、〔その成功はつまり〕自分のことをもはや〔息子が〕必要とはしなくなることを意味するものとなるのだろうと〔感じ、〕打ちのめされてもいる。
ヒエロニムス・コロレド、ザルツブルクの王子大司教〔※ザルツブルク大司教は1803年まで神聖ローマ帝国内の王子が就任したため、「Prince-Archbishop」と表現されている。コロレドは1772年からこの職に就いている〕
非常に知的で、教養と洗練された知識を有する男であり、啓蒙運動を支持している〔人物でもある〕。大司教〔でもある彼は〕同時に道徳に関しては偽善者でもあり、愛人を擁してもいる。彼の性格の曖昧さもまた〔以下のような〕事実の中に現れている。〔つまり、〕彼はモーツァルトの非凡な生来の才能に深く感銘を受けてはいるものの、それでもなお彼のことを自分の屋敷でお仕着せを着ている従僕に過ぎないかのように扱っているということに。結局のところ、彼が自分を取り巻くものたちに要求しているのは、規律、勤勉そして尊敬といったものに過ぎないのである。モーツァルトの生意気さや当てにならなさはひどく彼を激怒させるものであり、怒りのままに、彼は、自分のために書かれた、この作曲家の新たな楽譜をずたずたに破ってしまう。音楽には理性や論理を超えて行くための力があるのだと彼が気付いたとき、彼が非常に大切なものとして抱え込んでいたその全ての基盤は揺るがされることになる。
コンスタンツェ・ウェーバー/〔またはコンスタンツェ・〕ニッセン
人生のひどい教育環境〔※家庭環境などを含んだ大まかな環境全てをここでは差していると思われる〕からやって来たモーツァルトの妻は、徹底的な快楽主義者であり、楽しい時を過ごすことにしか興味を持たない。彼女は自分の夫が〔先頭立って〕導く奔放な人生を愛しており、その夫のことも同様に真心から愛している。だが、彼女はまた片方の目を素早く利益になることを〔探る〕ために用いている。〔それについては〕この事実からも明らかになる。例えば、自分の前の夫の墓へと彼女が進んで人を案内する〔=冒頭シーンのこと〕のは謝礼金のためなのである。とはいえ、彼女は明らかに常識的な感覚の持ち主でもあり、自分の母親がモーツァルトに対してサインをするように強要した詐欺的な契約書を怒って破り捨てる〔ということを行いもする〕。
ナンネール・モーツァルト
モーツァルトの姉は自分の弟と非常に仲が良く、純粋で無私無欲の思いから、彼の生活が健やかなものであることに関心を持っている唯一の人間でもある。彼女もまた〔才能に恵まれた〕奇跡の子であったが、同時に〔彼女は〕一人の女でもあった〔ため〕、〔彼女は、己に課せられた〕社会の役割〔というもの〕が自分に許しているものだけを演じることを〔諦めと共に〕甘受している。〔このため、彼女は〕自分の父親の世話をし、家族を育む〔ということに己の人生を捧げている状態にあるのである〕。
セシリア・ウェーバー
〔この〕コンスタンツェ・ウェーバーの母親は、手強く〔※または「柄が悪く」〕、貪欲な女性である。自分の家族を養うために常に経済的支援になるものに関心を持って〔目を光らせている〕。モーツァルトが己のもっと若いほうの娘に目を向けるよりも先に、彼女は彼を長女のほうと〔結び付けようとしてその〕お膳立てをし、アロイジア〔=長女〕〔を使って〕彼から金を搾り取ろうとする。その後、彼女は〔まだ若く未熟な〕コンスタンツェのことを誘惑してきているのだと〔特に証拠もなく〕主張してモーツァルトを脅迫し、娘と結婚するか、娘の生涯〔に値する〕費用を支払うかのどちらかをするように彼に強いる〔ことになる〕。
ヴァルドシュテッテン男爵夫人
モーツァルトのパトロンで、彼がザルツブルクからウィーンへと移るための手助けをする。彼女は心から〔彼が〕最も自分〔=モーツァルト自身〕の得だと〔思えることを為すこと〕をとにかく願っており、〔そのためには〕ウィーンで彼を利用しようとするものたちが彼〔に牙を剥くことを〕阻止するための助け〔を行う〕必要があることを理解している。
エマニュエル・シカネーダー
〔彼は以下の言葉を〕信条として生きている。「あらゆるものにおいて肝要なのは、エンターテインメントと観客である」。エマニュエル・シカネーダーはドイツにおいて広く知られている興行主、劇作家、役者、歌手、舞台演出家そして作曲家である。彼は世界的に有名なウィーンの〔劇場である〕「アン・デア・ウィーン劇場」の創設者であり〔※『Mozart!』の初演が行われた劇場でもある〕、モーツァルト〔作品の中でも〕高く評価されているオペラ『魔笛』の台本作家でもある。自分の劇場の庭の中でシカネーダーはモーツァルトにのちに最高傑作となるこの〔『魔笛』の〕台本を手渡し(このとき、神童アマデがそれを受け取る。その間、モーツァルトは女優と共に庭のパビリオンを楽しむために〔そちらに〕顔を向けている)、大衆に受けそうな数多のメロディーを書くようにと彼〔=モーツァルト〕に強く呼び掛けている。〔そういった懇願をするのも〕自分が成功することを是が非でも必要としているためである。
カール・ヨーゼフ・フォン・アルコ伯爵
コロレド王子大司教の宮廷の高官〔※または「侍従、執事」〕であるアルコ伯爵は、モーツァルトの才能のパトロンである貴族仲間たちに混じってはいるものの、この若者の規律の欠如と〔、欲などを〕我慢できない〔無責任で愚直過ぎる〕気質に関してはかなり懐疑的でいる。モーツァルトがこの大司教に反抗的に立ち向かったとき、アルコは自分の主人の命令に強いられ〔る形で、〕誇張抜きにしてこの反抗的な作曲家を大司教〔が支配している〕地域から蹴り出さ〔ざるを得なくなった〕。
Synopsys(あらすじ)
「あなたは、どうやってあなた自身の影を振り払うというのだろう?」
ACT1
奇跡の子そしてナイーヴな天才
ヴォルフガング・アマデと彼の姉ナンネールは、どちらも神童として、上流社会で演奏〔のパフォーマンスを〕するために父親にヨーロッパ中を連れ回されている。大人になるにつれて、モーツァルトは手に負えない、反抗的〔※「挑戦的、喧嘩腰、不適」の意味もある。〕な〔人間に〕なる。彼は、時間を守らず、不服従でいるという態度によって自分のパトロンであるコロレド王子大司教を怒らせる。彼は自分自身の人生を〔自分の力で〕導きたいのだが、彼の天才が、「陶磁の〔ような〕姿」で化身となった子供の〔頃の〕アマデが、常に彼と共に在り、自分の父親の命令によって間断なく作曲に勤しんでいるのである。
ヴォルフガングは、なぜ父親は彼が〔父親に対して〕しているように彼〔=ヴォルフガング〕のことを愛せないのかと尋ねる。モーツァルトは、ザルツブルクであれこれと命令されていることにうんざりしており、どこか別の場所で自分の富〔※ないしは「幸運」〕を見つけ出そうとして〔この場所を〕発つ。レオポルトは、この邪悪な世界においてモーツァルトは世間知らず〔※または「無邪気、無知」〕過ぎるのだと気を揉む。そして、案の定、この若い男は、貧困に喘いでいたウェーバー家とその四人の娘たちの罠に掛かり、自分の全財産を奪われてしまうのである。
愛そして自由の錯覚
そのこと〔=ウェーバー家のこと〕を聞いたとき、レオポルトはひどいショックを受けさせられ、モーツァルト〔に対し〕即刻パリへと発つように命じる。モーツァルトは言われた通りに従いはするが、なおもウェーバーに金を送り続けている。ところが、彼と彼の唯一の旅の道連れである母親は、今では極貧〔状態に陥っていた〕。自分の母親がパリで亡くなると、モーツァルトはザルツブルクへと戻る。〔彼を〕懲らしめる〔ためにと〕、彼がどれほどの借金を負うているのかを示すことによって、レオポルトは彼〔=モーツァルト〕への支配権を取り戻そうとする。コロレドは、皇帝に謁見〔できることを〕約束しながら、モーツァルトにウィーンへ行くようにと命じる。
ウィーンでモーツァルトはウェーバー家の人々と再会し、コンスタンツェと恋に落ちる。〔コンスタンツェはウェーバー家の〕娘の一人である。レオポルトは彼〔=モーツァルト〕がもはや永遠にその地に留まることになるのではないかと疑い、裏切られたように感じてしまう。コロレドは、彼のことを好き勝手に扱うといった態度で以てモーツァルトのことを自分の家財のようなものだと見做しており、皇帝に謁見させるという彼との約束を破り、ザルツブルクへ戻って来るようにと命じる。〔それを受けて〕激怒したこの作曲家は王子大司教に立ち向かい、彼の侍従であるアルコ伯爵によって追い出されることになる。
ACT2
和解の失敗
コンスタンツェは家族と言い争った後、愛するモーツァルトのもとへと逃れる。だが、彼の母親は彼女を探し出すと、彼女〔=コンスタンツェ〕を誘惑したのだということでモーツァルトを責める。彼女〔=母親〕と彼女の新しいパートナーとはこの〔現状を〕モーツァルトを強請るチャンスだと見做し、誓約書へのサインを彼に強いる。結婚によって彼を縛り付け、一生に亘って彼女〔=コンスタンツェ〕の母親に生活費を支払わせ〔ようとするのである〕。コンスタンツェは、この策略に対して激怒し、その契約書を破り捨てる。
コロレドは、モーツァルトによって〔書かれた〕楽譜に魅せられ、レオポルトに〔対し、モーツァルトを自分の〕作曲家として復職させるという自分の申し出を彼が〔モーツァルトに〕伝えたのかどうかを尋ねる。レオポルトはモーツァルトのことは忘れるようにと彼に申し出ると、新しい奇跡の子を〔差し出すことを〕彼に約束するが、すぐさま退出させられてしまう。何年間かの別離の後、レオポルトはウィーンにいる自分の息子の所に滞在する。モーツァルトは、今や成功し、裕福で尊敬もされている。〔それで彼は〕自分の父親と平和状態を作ろうと無駄な〔努力を〕試みる。だが、自分の息子の成功を目の当たりにして、レオポルトは、彼がもはや〔自分を〕これ以上は必要とはしていないことに気が付くのである。
〔天才的な〕才能はその人間を破滅させる
モーツァルトは〔父親による、自分に対する〕その最終的な拒絶を前にしてひどいショックを受け、混乱させられ、一時的に正気を失う。この足掻きは彼の〔天才的な〕才能と共に新たな高みへと近付くことになる。ウェーバー家の〔人々〕は、モーツァルトの全財産を奪った〔後〕、今度は彼に、彼の友人及びパトロンたちに物乞いをする手紙を書かせようとしていた。彼は〔これを〕拒む。彼らの激しい口論は、モーツァルトの父親がザルツブルクで死んだという報せによって遮られる。モーツァルトは、その報せによる衝撃がまだ抜けていないうちに、レクイエムを書くように依頼されることになる。
しばらくしてから彼は『魔笛』に取り組み始める。だが、その仕事の目を瞠るほどの大成功を長くは楽しむことができない。発病したためである。アマデは彼の病床に座り、例のレクイエムの作曲をしている。この天才と男との間で繰り広げられている闘争は、生きるか死ぬかの争い〔※または「奮闘、苦闘、大変な課題・困難」〕へと〔形を変じたものに〕なったのである。アマデはインクを使い果たすと、自らの羽ペンをモーツァルトの腕に突き刺し、その血で描き続けている。結局、アマデは羽ペンをモーツァルトの心臓へと突き立てる。この作曲家は死に、彼と共にアマデも消滅する。
時間と空間とが混ぜ合わさる。この作曲家の死体は土産物ハンター〔※要は、ここでは、記念品や形見を記念として奪取して持ち出してしまう人のこと〕によって略奪されてしまう。彼の人生〔に関わった人々の〕姿が現れ、彼のベッドの周囲に立つ。ナンネールは聖マルクス墓地の中で謎めいた小箱を見つけ、その〔蓋を〕開ける。〔そこからは〕彼が奇跡の子だった頃を思い出させる、ささやかな〔または「幼い、ほんの少しの、かわいい、短い」〕メロディーが鳴るのであった。