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【翻訳】詩「Deutsche Treue」(フリードリヒ・フォン・シラー)

記事作成日:2024/07/06
最終更新日:なし

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  • 2024/07/06
    • 本記事公開
    • 追記:「ちなみに本ブログのメインコンテンツ的に一応触れておくと、」の段落箇所の追記。
 

 

 本記事では、シラーの詩『Deutsche Treue(ドイツの義)』の自炊翻訳を掲載しています。各種概要説明も行ってはいますが、かなりざっくりと簡単な範囲でのみまとめるにとどめています。

概要

掲載誌『Die Horen』について

 この詩はシラー自身が1795-1797年にかけて発行していた月刊の文芸雑誌『Die Horen(※ギリシア神話の「ホーラ」の意。平和、秩序、公正の三人の女神たちのこと。)』で掲載されたものの一つである(※1795年発行の第9号に所収)。この雑誌にはゲーテフィヒテ、ヘルダーなど名だたる人々が寄稿したもので、いわゆるヴァイマール古典主義の醸成の基礎を作ったものだとされる。この後続雑誌として今度はゲーテが中心になって発行されたのが『Propyläen(ギリシャ語で「玄関」の意。)』で、この雑誌にはシラーも深く関わっている。こちらにもヴァイマール古典主義が強く展開されている。『Die Horen』は、いわゆる日々のニュース、現在の政治といった世俗的な話題からは離れ、哲学や芸術に注力し、古代のそれらへの理想を掲げたものとなっている。そしてそうしたものを通して戦争に明け暮れ混迷する世界をいま一度「rein menschlich(純粋に人間的なもの)」で呼び掛けることによって結び直そうという思想の下で発刊されていた。このため、雑誌のテーマは、礼儀と秩序、正義と平和といったものとなっている。今回の記事で紹介する「Deutsche Treue」もまさにその文脈に乗ったものなのである。

 

参考文献:

  • 集英社世界文学大事典』-「ホーレン」の項目
  • 集英社世界文学大事典』-「プロピュレーエン」の項目
  • 『Das Friedrich Schiller Archiv』-「Die Horen」(※ドイツ語。雑誌概要及び雑誌のアーカイブが閲覧できる。)(最終アクセス日:2024/07/04)
  • 『Das Friedrich Schiller Archiv』-「Die Horen」-「第1号Vorwort(序文)」(※ドイツ語。雑誌の理念について説明されている。)(最終アクセス日:2024/07/04)

 

詩の内容について

 この詩は上述したように文芸雑誌『Die Horen』の1795年第9号に初出、掲載された詩である。ただ、どうやらこの初出版と後年のものには微妙に差異があるようなので、この記事では、一応、そのどちらのバージョンも掲載・訳出している(※ちゃんとやるのであれば実際に雑誌そのものを確認した上で比較したり何だりをしないといけないが、そこまでやっていられないのでそこは端折る)。

 この詩は、1313年に先代皇帝であるルクセンブルク家のハインリヒ七世の死亡後、神聖ローマ帝国の新たな王として選帝侯らに選出されたウィッテルスバッハ家のルードヴィヒとハプスブルク家のフリードリヒの衝突と、その軍事面での終わりとなる1322年のミュールドルフの戦い、そしてそこでルードヴィヒの下でトラウスニッツ城内にて囚われの身となったフリードリヒとルードヴィヒにまつわる(殆ど伝説に等しい)美談や、その捕虜期間に取り交わされたやり取り、そして(詩ではそこまでは描かれていないが、)二人による共同統治による(ほとんどかりそめのものと言えるのだろうが、歴史上かなり特異な事象となった)二重君主制の歴史を下地としたものとなっている。

 背景知識の一つとなるトラウスニッツ城での捕虜生活については既に以下に挙げておく記事でも触れているのでここで紹介しておく。

 

attendre-et-esperer.hatenablog.jp

 

ちなみに本ブログのメインコンテンツ的に一応触れておくと、この詩の初出が1795年、戯曲『ヴィルヘルム・テル』の初演が1804年であり、スイスを謳った詩「Berglied(山の歌)」の初出も1804年。「Der Alpenjäger(アルプスの猟師)」(※2024/07/06時点で本ブログでは未紹介)も多分この頃の作である。

 

attendre-et-esperer.hatenablog.jp

 

詩(原文・翻訳)

一般に流通していると思しきバージョン

原文

※原文の引用源:WEBサイト『Zeno.org』内「Deutsche Treue」(最終アクセス日:2024/07/04)
出典は以下とのこと:Friedrich Schiller: Sämtliche Werke, Band 1, München 31962, S. 249-251.

Um den Szepter Germaniens stritt mit Ludwig dem Bayer
Friedrich aus Habsburgs Stamm, beide gerufen zum Thron;
Aber den Austrier führt, den Jüngling, das neidische Kriegsglück
In die Fesseln des Feinds, der ihn im Kampfe bezwingt.
Mit dem Throne kauft er sich los, sein Wort muß er geben,
Für den Sieger das Schwert gegen die Freunde zu ziehn;
Aber was er in Banden gelobt, kann er frei nicht erfüllen,
Siehe, da stellt er aufs neu willig den Banden sich dar.
Tief gerührt umhalst ihn der Feind, sie wechseln von nun an,
Wie der Freund mit dem Freund, traulich die Becher des Mahls,
Arm in Arm schlummern auf einem Lager die Fürsten,
Da noch blutiger Haß grimmig die Völker zerfleischt.
Gegen Friederichs Heer muß Ludwig ziehen. Zum Wächter
Bayerns läßt er den Feind, den er bestreitet, zurück.
»Wahrlich! So ists! Es ist wirklich so! Man hat mirs geschrieben.«
Rief der Pontifex aus, als er die Kunde vernahm.

 

翻訳文

ゲルマニアの王笏を巡り、バイエルンのルードヴィヒと戦いせしは
ハプスブルクの一族(※1)から生まれ出でしフリードリヒ。両者は王位を求めて声を上げたのだ。
しかし、かのオーストリアの人々が、かの青臭い若者が、かの嫉妬に満ちたる不和ゆえの争いから生まれる好機(※2)が
敵の枷へと彼を(※3)導いたのだ。戦闘によって彼を征服する者の中へと。
王位に関し、彼は自らの自由を金で買い、自らの言葉を告げねばならなかった。
勝者のためにその剣を仲間のほうへと抜くということを。(※4)
だが彼がこの拘束の中で誓ったことでは、彼が自由を果たすことはできはしない。(※5)
見よ、そこで彼はまた新たに自ら進んでかの拘束へと己が身を置いたのだ。(※6)
心からの感動のために敵は彼の首に腕を回して彼を抱き締め、彼らはそのときから交わすようになったのだ、
まるで友が友と共に在るが如く、寛いだ気持ちで食事の杯を。
そして腕を組み合うようにして一つの寝床の上でこの王侯たちは微睡んだ。
未だに血にまみれた憎悪が続き、憤激のうちにかの民族の民草らが噛み裂き合うその場所で。
フリードリヒの軍隊に立ち向かうため(※7)、ルードヴィヒは進軍せねばならなかった。彼はバイエルン
守護する者となるために敵をそのままの状態で委ねると(※8)、戦いに挑むべく引き返して行ったのだ。
「真に! 斯く在ったのだ! 本当にそうしたことが起きた! 私は手紙によってそう伝えられたのだ。」
この報せを聞き知るなり、司教は叫んだのだった。

 

※1 Stammは第一義には「木の幹」。家系図を一本の木で表現するため。
※2 直訳すると「戦争の幸運」だが、意味がつかみにくいため意訳している。
※3 「彼を」は補足的に意訳した。
※4 「王位に関し~抜くということを」の表現が曖昧でよく分からないのだけれど、多分、ミュールドルフの戦い後にルードヴィヒとフリードリヒとの間で取り結ばれた「Trausnitzer Sühne(トラウスニッツの贖い)」(※トラウスニッツは戦後にフリードリヒが囚われた城の名前である)によるものを言っているのだと思われる。厳密には身代金そのものとは異なる代償をここでフリードリヒは払っているのだが(=王位についての合意や帝国財産について、援助についてなど)、簡単にこのように表現しているのだろう。「自らの言葉を告げる」というのも、この取り決めは自らも納得してのことだという表明をするということだろう。勝者のために(=ルードヴィヒのために、ということだろう)云々というのも、次からはルードヴィヒ側に与して戦うのだという取り決めのことを言っているのかと思う。
※5 つまり、囚われの身の状態で取り交わしたことに対し、周囲はこれが彼の自由意思で決定されたのだとは認めようとはしないということだろう。実際、「Trausnitzer Sühne」での取り決めを弟らは拒否する。
※6 取り決めを兄弟たちが拒絶したことにより(合意が遂行できなかったから約束通りにそれを果たしただけとも言えるが)、フリードリヒは再び自ら捕虜に戻ったという経緯がこの文の背景にはある。
※7 この軍隊はフリードリヒの意に反して進軍しているものという意味で語られている。
※8 つまり、フリードリヒをほとんど自由な状態のまま置き去りにした。

 

文芸雑誌『Die Horen』に掲載したバージョン

原文

※原文の引用源:WEBサイ『Das Friedrich Schiller Archiv』-「Die Horen」-「1795, 9. Stück(1795年第9号)」(※ドイツ語。「Deutsche Treue」が掲載されている号。)(最終アクセス日:2024/07/04)

Um den Scepter Germaniens stritt mit Ludwig dem Bayer
Fridrich aus Habspurgs Stamm, beyde gerufen zum Thron,
Jenen schützte Luxemburgs Macht, und die Mehrheit der Wähler,
Diesen der Kirche Gewalt und des Geschlechtes Verdienst.
Aber den Prinzen Österreichs führt das neidische Kriegsglück
In die Fesseln des Feindes, der ihn im Kampfe bezwingt.
Mit dem Thron erkauft er die Freyheit; sein Wort muß er geben,
Für den Sieger das Schwerdt gegen die Freunde zu ziehn;
Aber was er in Banden gelobt, kann er frey nicht erfüllen,
Siehe, da stellt er aufs neu willig den Banden sich dar.
Tief gerührt umhalßt ihn der Feind, sie wechseln von nun an
Wie der Freund mit dem Freund traulich die Becher des Mahls,
Arm in Arme schlummern auf Einem Lager die Fürsten,
Da noch blutiger Haß grimmig die Völker zerfleischt.
Gegen Fridrichs Heer muß Ludwig ziehen. Zum Wächter
Bayerns läßt er den Feind, den er bestreitet, zurück.
„Wahrlich! So ists! Es ist wirklich so. Man hat mirs geschrieben“
Rief der Pontifex aus, als er die Kunde vernahm.

 

翻訳文

(※「一般に流通していると思しきバージョン」と重複している脚注はここでは省略している。)

 

ゲルマニアの王笏を巡り、バイエルンのルードヴィヒと戦いせしは
ハプスブルクの一族から生まれ出でしフリードリヒ。両者は王位を求めて声を上げたのだ。
かの人はルクセンブルクの権力(※1)と有権者の大多数、
それに教会の支配力と一族の功績とに庇護されていたのである。
しかし、このオーストリアの王子を、かの嫉妬に満ちたる不和ゆえの争いから生まれる好機が
敵の枷へと導いたのだ。戦闘によって彼を征服する者の中へと。
王位に関し、彼は自らの自由を金で贖い、自らの言葉を告げねばならなかった。
勝者のためにその剣を仲間のほうへと抜くということを。
だが彼がこの拘束の中で誓ったことでは、彼が自由を果たすことはできはしない。
見よ、そこで彼はまた新たに自ら進んでかの拘束へと己が身を置いたのだ。
心からの感動のために敵は彼の首に腕を回して彼を抱き締め、彼らはそのときから交わすようになったのだ、
まるで友が友と共に在るが如く、寛いだ気持ちで食事の杯を。
そして腕を組み合うようにして一つの寝床の上でこの王侯たちは微睡んだ。
未だに血にまみれた憎悪が続き、憤激のうちにかの民族の民草らが噛み裂き合うその場所で。
フリードリヒの軍隊に立ち向かうため、ルードヴィヒは進軍せねばならなかった。彼はバイエルン
守護する者となるために敵をそのままの状態で委ねると、戦いに挑むべく引き返して行ったのだ。
「真に! 斯く在ったのだ。本当にそうしたことが起きた! 私は手紙によってそう伝えられたのだ。」
この報せを聞き知るなり、司教は叫んだのだった。

 

※1 これだとルードヴィヒのことを言っていることになるような気もする。