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【翻訳】映画『会議は踊る』挿入歌「Das gibt's nur einmal」

記事作成日:2021/11/30
最終更新日:--

 

 本記事では、映画『Der Kongreß tanzt(邦題:会議は踊る)』(1931)の挿入曲「Das gibt's nur einmal」の拙訳による日本語訳を掲載しております。この曲はスタジオジブリの長編アニメーション作品の一つである『風立ちぬ』でも登場人物たちが歌うシーンで印象的にというよりも象徴的に引用されていたことでも有名なものです(歌詞を見れば分かりますが、あの作品の主題に思いっきり関係する曲なのです)。日本国内においても放映間もなくからかなりの人気を得た曲だったといいます。

 『会議は踊る』の内容や放映当時の背景、それらも受けた上での『風立ちぬ』での曲の引用など、面白いポイントは多々あるのですが、ここではそういった解説なり感想なりは控え、単に和訳歌詞を提示するのみに留めます。

基本情報

映画『会議は踊る』

タイトル
会議は踊る
原題
DER KONGRESS TANZT
制作年
1931
制作国
ドイツ
監督
エリック・シャレル
脚本
ノルベルト・ファルク

データベース
Filmarks | allcinema | IMDb
 

挿入歌「Das gibt's nur einmal」

データベース
SecondHandSongs

補足すると、『SecondHandSongs』は曲のオリジナルやカバー等の情報をまとめたデータベースサイトです。サイトで使用されている言語は英語になります。

歌詞(翻訳文のみ)

※歌詞原文の引用はここでは行いません。

※原文の引用源:WEBサイト『GHIBLI FANDOM』内「Das gibt's nur einmal」(最終アクセス日:2021/11/24)

翻訳文(映画版)

泣いているのかしら、私? 笑っているの? 夢見ているの? 目が覚めているのかしら、この私は?
いまに分かることになるのは、私は自分のしていることが分かってないっていうこと。
どこに自分が向かっていて、どこに自分が立っていて、みんなが私に向かって笑うのがどうしてなのか。
きょう、全てはおとぎ話という存在になるわ。きょう、私にとって全てがはっきりしたものになる。

 

[Refrain]:

これはたった一度だけ贈られたもの。(※1)もはや再び訪れることはないのだわ、こんなに美しいことが本当に存在するなんていうことは。(※2)
驚くしかない一つの奇跡(※3)が私たちの上に落っこちてきたのよ、あの楽園から黄金色に輝く光が一つ。
これはたった一度だけ贈られたもので、もはや再び訪れることはないのだわ、こんなのってもしかしたら夢幻《ゆめまぼろし》なのかもしれない。
これは人生でたった一度だけ与えてもらえるもの。きっとたぶん、明日には足早に通り過ぎていってしまうもの。(※4)
これは人生でたった一度だけ与えてもらえるもの。だってどんな春にだってたった一度の五月が訪れるだけなのだもの。(※5)

 

愛、太陽、世界を満たす喜び。いまはまだ一度だってあなたにはそんな瞬間はきてはいないでしょ?
愛らしい小鳥はみんな 天上の歓びの幸せの旋律を歌う。
きょう 家から家へとこの幸せが訪れていくわ、それを見出してしまうまでは!

 

[Refrain]

[Refrain]

 

きれいな(※6)花たち、燃えるみたいに赤く輝いて、背を伸ばして(※7)私たちのほうへと迫る愛らしい花束(※8)となる。
この花たちを表へと咲かせる(※9)木々たちすべてが夢想の中。
ちゃんと聞いて頂戴。何もかもあなたのために向けた言葉なんだもの。きょう、私はあなたのためだけに花を咲かせるわ(※10)。

 

[Refrain]

[Refrain]


脚注:

※1 原文「Das gibt's nur einmal.」で、本来「es(彼、それ)」が含まれる。このため、厳密には、「これはたった一度だけ(彼/それに)贈られたもの」となるが、ここではこうしたニュアンスは意図的にぼかして訳出した。

※2 原文「das ist zu schön(,) um wahr zu sein.」は口語表現で「これは話がうますぎる」という意味になる。

※3 原文「So wie ein Wunder」。意訳。

※4 原文「vielleicht ist's morgen schon vorbei.」。ここも「※1」同様に処理している。厳密には、「きっとたぶん、(彼/それは)明日には足早に通り過ぎていってしまうもの」。

※5 「Frühling春」は、転じて「青春」を意味する。ここでも特に「この世の春」だとか「人生における輝けるころ」だとかを意味して用いられている。「Mai五月」も転じて「春」だとか「幸福な時期」を意味する。

※6 「Herrlichきれいな」は、「壮麗な」とか「立派な」といったニュアンスが強い。

※7 「empor背を伸ばして」としたが、「高々と、上へ」といった意味。

※8 「低木」の意味が強いかと思うが、このようにした。

※9 厳密には「もたらす」という意味。

※10 「blüh'」は「(花が)咲く」を基本とする語彙だが、口語で「(よくない運命が)起こる」といった意味もある。

翻訳文(映画版以降のバージョン)

泣いているのかしら、私? 笑っているの? 夢見ているの? 目が覚めているのかしら、この私は?
いまに分かることになるのは、私は自分のしていることが分かってないっていうこと。
どこに自分が向かっていて、どこに自分が立っていて、みんなが私に向かって笑うのがどうしてなのか。
きょう、全てはおとぎ話という存在になるわ。きょう、私にとって全てがはっきりしたものになる。

 

[Refrain]:

これはたった一度だけ贈られたもの。もはや再び訪れることはないのだわ、こんなに美しいことが本当に存在するなんていうことは。
驚くしかない一つの奇跡が私たちの上に落っこちてきたのよ、あの楽園から黄金色に輝く光が一つ。
これはたった一度だけ贈られたもので、もはや再び訪れることはないのだわ、こんなのってもしかしたら夢幻《ゆめまぼろし》なのかもしれない。
これは人生でたった一度だけ与えてもらえるもの。きっとたぶん、明日には足早に通り過ぎていってしまうもの。
これは人生でたった一度だけ与えてもらえるもの。だってどんな春にだってたった一度の五月が訪れるだけなのだもの。

 

どんな恋人たち(※1)だってこの御伽噺を信じているわ。愛は永遠さえも耐えられてきたんだって。(※2)
でも あなたは分かってる。かつて それがどういう意味を示していたのかを。私に届いているのはお別れへと向かう手なんだっていうことを。
だから あの天上ももうこれ以上きれいな青には染まらない(※3)。そういうことをあなたは完璧に分かってるの。

 

これはたった一度だけ贈られたもの。もはや再び訪れることはないのだわ、こんなに美しいことが本当に存在するなんていうことは。
驚くしかない一つの奇跡が私たちの上に落っこちてきたのよ、あの楽園から黄金色に輝く光が一つ。

 

これは人生でたった一度だけ与えてもらえるもの。だってどんな春にだってたった一度の五月が訪れるだけなのだもの。


脚注:

※1 「Pärchen恋人たち」は特に「若い恋人たち」を指す言葉である。

※2 やや意訳。厳密には、「愛は永遠に存在してきたのだ(耐えてきたのだ)と」。

※3 意訳。厳密には、「この天(=空)はこれ以上は青くはならない」。これ以上天は彼女に甘い夢を見させることはないということ。