始めは全体の半分

為せば成るというやつですな。PC向け表示推奨です。

【鋼鐵の薔薇】第一巻の感想

記事作成日:2022/07/20
最終更新日:なし

 

 

タイトル
鋼鐵の薔薇
巻数
第一巻
著者
久慈光久
出版社
KADOKAWA
出版年
2022年
ISBN
9784047371422

データベース
NDLサーチ | メディア芸術データベース | 版元ドットコム
購入(※楽天のみアフィリエイトリンクです)
Comic Walker | ebten | カドカワストア | e-hon | honto | Honya Club | 楽天ブックス

 

 

2022/07/20発売『鋼鐵の薔薇』(第一巻、久慈光久)レビュー。

 

正直言って結構マイナスな印象の感想になっていることは最初に言っておきます。耐えられないやつは読むなーーーーーー!!!!!
全部、「私はこう思ったのだわーーーー!」でしかありません。楽しみ方はいろいろある。私はこうだっただけ。

 

そしてこの数行で「読むのやめとこ」と思った人向けに前以て言っておきますが、私が本作に対して『狼の口』で作成したような資料やリスト(グッズ一覧、掲載誌一覧など)を作ることはないので、「ああいうのあったほうがいいよね」という同じ考えのファンの方がおられるのなら、そっちで勝手に作ってくれよな。本作に関しては私はまたああいうの作るということはしません。ここで言っておくけど、記録は早いうちから始めたほうが取り逃しの心配も薄いので確実やで……。

 

また、たぶん、第二巻からはこうして一つの記事として感想をまとめたりはしないとも思います。今回は、連載開始間もなくの時点で、「取りあえずどういうことになるのであれ、第一巻の感想はちゃんと書きます」ということを公言していたので、言った以上はやってるだけという次第です。

感想

21年6月だったかの青騎士本誌での連載から約1年後に1巻が出版される。まあ多分1巻が出るまでに薔薇戦争のおさらいできるだろうなと思っていたので、その辺の歴史方面のおさらいと、シェイクスピアの史劇再読などをひとしきり済ませても余裕ありまくったので、もう少しプラスαに頑張っても良かったなというちょっとした余談があったりなかったり……。薔薇戦争いいですよね……ずっと泥沼の一言しかねえもんな……。

 

本誌で読んだのは第1話のみで、そこである程度もうこのまま本誌も一話ずつ追って読むのかの判断をしていたのだが、「取りあえず1巻を待つか」判断になっていることからも分かるように、正直、第1話時点でものすごくがっかりしていた。何というか、『狼の口』やその他短編からもしみじみ伝わってきていたことではあるのだが、久慈光久氏の長所でもあり短所でもありといったものが既に1話目にしてというか1話目だからか濃縮されていた。他の人のTwitter感想でお見かけしたときにしみじみ肯いたのだけれども「この人っていつもこうだよな……」という想いをめちゃくちゃ噛みしめていた。
ああ、また真面目に史劇をやることもなく精神的に何かこう、きれいごとなんだか何なんだかなところでくるんだな……と思ったというか、単純に第1話だけを俎上に上げて言うと、薔薇戦争そのもの自体はどうでもいいようなところの話になりかねないなとも思ったというか(あの最中にあって高潔な騎士として在るブラッドというその人の特異さを表現したいのだろうとは思うが)。
とにかくそんな肩透かしを食らい、かといってたかだか1話しか読んでもいないわけで、このまま読むかの判断を第1巻の発売まで先延ばしにする傍ら、こっちはおさらいをして待っていたわけである。

 

そして第1巻を読んだ総評的な感想から言えば、やはり第1話で感じたようなものを繰り返し食むことになったわけである。「この人っていつもこうだよな……」!
とにかくやはり長所も短所もあまりにも100%果汁そのままに詰め込まれていた。言ってしまえばおなじみ感。そのおなじみのものがそもそも大好物な読者ならたまらんものがあるのだろうが(そして多分そういう人向けのものであり、そういうお馴染みを知らん単発的に作品を読んでる人向けのものなんだろう)、そこからは数歩ほど引いた上で作品鑑賞している身は唸るしかないやつ。助けてくれよ、なあ!!!!!とか空気に向かって叫びたくもなるけど、まあ、それなりの詳細は以降に綴る。

 

私は『狼の口』ファンとまあ言えるところが多分あるので、第1巻のカバー写真を一目見たときにも感じましたが、今回も装丁は林健一という方でしたね。氏の装丁ってなんとなく見たときに特徴があって、『ヴラド・ドラクラ』(大窪晶与)なんかも担当されてるのですが、あれも何となく直感的に分かったものでした。なんなんだろな。他の実例も見てみましたが、たまたまこの二作が特徴が似ていただけのようです。(参考:『良いコミック』-「【装丁】林健一」https://yoicomic.blog.fc2.com/blog-entry-190.html、最終アクセス日:2022/07/20)

 

閑話休題
ともかくもそういう装丁だとしたら『狼の口』同様にまたカバー下とかにあらすじが(今回の場合多分英文で)あるのだろうなと思ったため、中身を読む前にそっちからじっくり検めたところ、またちっこいフォントでフラクトゥールで(今回は英文で)書かれていたので、初手発狂を見事に決められていた。助けてくれ。フラクトゥールはただでさえ読みにくいのにフォント極小にされたらマイナデスみたいに何か引きちぎりたくなるって、なんかそういうこと前にも言ったでしょ!!!!!とか、また空気に向かって叫びたくなる。ちなみに『狼の口』は頑張って解読したものを記事化しています。よろしく。

 

ちなみにここで書かれていたものを簡単に日本語に読み下すと、
「ブラッド・ハーディング卿は橋に立ち、防ぐ。これは赤薔薇のランカスターと白薔薇のヨークが王座を巡って戦ったその合間に起きた内戦の物語である」(『鋼鐵の薔薇』第1巻、久慈光久KADOKAWA、2022年7月20日、表1部分の英文の私訳)
……といった感じになる。

 

また、反対側のカバー裏(いわゆる表4と言われるもの)には日本語で説明文が書かれている。『狼の口』にはなかったものである。『薔薇戦争──ばら・せんそう』の見出しで、まあ恐ろしくざっくりと「薔薇戦争とは」みたいなことが説明されている。ざっくりと。
その説明の合間に、本作『鋼鐵の薔薇』は赤薔薇・ランカスター派に与する騎士・ブラッド・ハーディングの視点を通して、一四五〇年に怒った“ジャック・ケイドの反乱”を描いていくことになる。(『鋼鐵の薔薇』第1巻、久慈光久KADOKAWA、2022年7月20日、表4より一部抜粋)とあったので、要は『狼の口』がモルガルテンの戦いをクライマックスに据えたように、第1話で何か橋を守ってた人が結局のところやっぱり主役で、なんかすごい「薔薇戦争の物語」を謳うにはけったいなポイントになるジャック・ケイドの反乱のところを山場にするんだな?長編でそこ描くつもりならどれだけ丁寧に過程を描くつもりなんだろう?と思ったものだが、第1巻時点で既にその反乱が起きていたので、これはあくまで第1巻(及び次巻)辺りのあらすじだったのかもしれない。もしかしたら2巻以降からじわじわそこに至るまでの話をしていくのかもしれないが、あんまりそうとも思えない。『狼の口』ではそういうことを前以て言っていなかったのに(とはいえ、言われなくても多分そのつもりなんだろうというのは分かるものでしたが)クライマックスポイントを先に書いておくとか親切だなあと思ったのだが、単純にもしや説明の仕方が悪いだけだったのかもしれねえ。なんで「薔薇戦争とは」説明中に唐突にその話始めたのとか、この書き方だと1巻(プラスα)の説明とは思うまいよとか、ちょっと思いました。ちょっと思いました!!!!

 

カバー下の話はここまでにして、本編の感想にいきます。

 

第1話時点では年代も分からねえ、どこで戦ってるのかも分からねえ!見知った奴はサマセット公(エドムンド・ボーフォート)しかいねえ!!!!でも年代が分からないので第2代か第4代かどっちか分からねえ!!!!!!!!みたいな感じだったんですが、まあその辺は読み進めてるうちに曖昧に掴める仕様といった感じでした。サマーセット公も第2代のほうだなとか察することができます。内容もこの時点ではまだ薔薇戦争前哨戦みたいな立ち位置のところです。
と、こういう厭味ったらしい書き方していることからも察していただけるものかもしれませんが、本作、フィクションをめちゃくそに織り込みまくってるのは創作作品なのでともかく置いとくとしても、頑なにおおざっぱにでも年代を書き添えるということが(確認した限り)一切ないのである。『狼の口』では割とそれなりにしてくれてたのですが、こっちは一切ない。描かれている内容も、一応、ヒントになる要素は描かれてはいるが、読者側が前以て歴史をちゃんと踏まえてないと何が何やらだと思うのだが、その辺が恐ろしく不親切な作品である。いっそ薔薇戦争周りの知識がフワフワしているほうが何も引っかからずに読めるくらいのものだと思う。もしかしたら作者自身それを狙っているのかなとも思うけれど。よく言えば、この『鋼鐵の薔薇』に集中して読んでほしい、そこの物語を追ってほしいということなのかもしれない。
この後もこんな感じなのだとしたら、本作ファンの人は具体的にいつの年代の話なのかみたいな年表を作って公表するといいと思いますよ……とか、ちょっと思いました。最初に書いたように、私は本作ではそういうこと一切するつもりはありませんが。

 

薔薇戦争周辺にまつわる事象はやはり『狼の口』でも見られたように、小難しいようなところはカットしまくり、書き換え、よく言えば(オブよく言えば)分かりやすいように設定されている。『狼の口』でもそういうところから目を逸らしていた点が個人的にはすごく嫌に思ったのだが、本作でもそうした傾向を引き継いでいるようである。そうすることで作者が描きたいこととか主人公の特徴を浮き上がらせるという側面があるのだろうし、創作物なのだから丁寧に歴史を描くとかそういうものではないのはこちらも重々承知なのだが、氏のやり方の場合、いろいろを踏み躙って成立させている悪癖になっている気がするので、あくまで私はそう思うというだけだが、この辺はこの作者の短所だと思っている。
今回なんかもいろいろすっ飛ばして「ブラッドのすごさ」が強調されっぱなしだったり。
何というかもう、読了後にもしみじみ噛みしめたのは、「良くも悪くも平常運転の感。作者の短所も長所もずっと出ていて、『狼の口』の変奏曲的な内容で」といったものだった。もちろん『狼の口』と同じじゃないか!とか言っているのではなくて、根っこは「変わってなさすぎる」よなという意味で、である。同じ作者が描いているものなのだからどうしたってそういう作者の中での普遍的な主題みたいなものはどうしたってあるものなのだけれども。『狼の口』などもしつこく折に返しては「よく分からない作品だった」と繰り返している一ファンなのですが(※感想ログとして一部まとめています)、「これを読めばその答えもつかめるのだろうか」という藁をも縋る想いみたいなことを一番強く感じてしまったりもした。誰か助けてくれ。

 

こんな調子なので私には全くはまらなかった作品ではあるのだけれど、『狼の口』に対する答えを永遠に探し求めてしまっているさまよえるオタクをしている身としてはこのままも惰性で続きを買って読んではひたすらこういうこと思っていくんだろうなという予感がしました。たかだか社に構えすぎている一読者の俺が救われることはあるのだろうか。助けてくれ。

 

上記したことの繰り返しになるけれども、『狼の口』なんかも、もっと歴史的側面に寄り添いつつこれを描いてくれたほうがもっとすんなり刺さっただろうなと思ったりもしたのですが、本作もそういうことはしそうにないことがこの1巻で既に確認できてしまったので、なんだかなあと思いはした。個人の感想です。個人の!感想です!!!!
そういうの抜きにしたところに氏の描きたいことがあるというのも分かっているけれどもね。

 

このまま主役がブラッドさんで描いていくことになるとして、どこまでをどう描くつもりなのかはこの1巻では掴みかねるものになった。薔薇戦争もその前段階部分から描き始めているけれど、最後まではいくのかどうか。薔薇戦争を扱った作品として、まあ、こういうふうにしていって、最終的にどういう意味を持たせるつもりなのだろうなあということもやはり先行きは不透明なままであった。国を挙げて泥沼劇やってる中で高潔な鐵の薔薇がいたのだというのを描くつもりだろうというのはそりゃ分かるが、言いたいのはそういうことではない……。
あの人は名誉のためにやるんだ!というのも、まだこの巻だけではそこまで説得力を持たせ切れていないと思うので。薔薇戦争という歴史的背景があることを抜きにしたら、あれで描けてると言ってもいいのかもしれないけれど。名誉云々よかバスター脳ではないかと私は思うし、どだい、名誉を求めるってそういうところあるのかもしれないとか遠い目になりもするのだけれども。

 

「小難しいことよりも戦闘よ!」とか、「ここをこういうふうに押さえたからこう有利になるっていう戦略なんよ!」とか、久慈氏の作品の特徴ではある一種のマッチョさに本作もやはりページ数が割かれていたし、そういうところもやはり氏の長所であり短所でもあると思っているし、そういうのが描きたいわけで、私が読みたく思うようなところはぶっ飛ばされるのだろうなとは繰り返しになるがやはりしみじみと感じた。
反面、リチャードなんかが代表的にそうでしたが、一部の心理描写はねちっこいのもこれもまた氏の特徴ですよね。何というか、氏の作品ってマイナスの感情(怒りというものが近いのかもしれない)から描かれているのが強い気がしていて、ポジティブなところに落ち着こうとしているのにそれらが折り合いつけられていないからちぐはぐにまとまっているものになっていると思っている。最終的にその「ポジティブ」もマイナスに引っ張られまくって気持ち悪い形になっているというか。少なくとも私はそう読んでいます。そういう特徴がいつまでたっても私が『狼の口』がどういう作品なのか分からないことになっている一端になっているのだとは思うけれど、やはりここも長所であり短所で、ここに関してもう一言添えると、おもしろいなと思うポイントでもあったりします。

 

と、ここまでずーっと素直に、「ついに1巻読めて満足しました、ホクホクですわあ!!!!」というようなことを一切言ってこなかったわけですが、ここで改めて言語化しておくと、ものすごい生殺しを味わいましたというところでした。少なくとも明朗快活に「たのしかったです!」とは言えない。どうなるのやら……。

 

狼の口』についてぼやくたびに繰り返していることですが、久慈氏の作品、他の作家のものだとどんな内容のものでもほとんどの作品で引っかかることのないところで延々小首を傾げに傾げて骨を折るみたいなところが私にはあるので、イヤミで言っているというわけでもなく、不思議な作家さんだなあと現状では永遠に思っているわけですが、本作によってそのへんが昇華されることになるのだろうかということは、繰り返しになるが、そんなことを期待してしまってはいる。そう、「してしまっている」という絶望があるのだ。助けてくれ。

余談:キャラクターについて

ヨーク公リチャード:
ざっくりいうとエドワード四世とリチャード三世のお父さんですね。薔薇戦争の開始に関してかなり重要な立ち回りをする中心人物の一人であることは言うまでもない人です。本作では、「おまえどうしたの……?」って感じの露骨なサディストになっておりました。おまえどうしたの……。
彼についても本作ではかなりテコ入れされて端折られての上にそういうものとしてあるので正直かなり戸惑いましたが、そういう真面目な戸惑いを置いて、リチャードであることも置いといて、単純にこういうキャラクターとして見ると、かわいいひとだなあとは思いました。きらいではないですが、お近づきにもなりたくない。たくさん寝てからもう一回考えてみようやと言いたくなる、そんなキャラクターです。
とはいえ、リチャードを破滅的サディストにするといろいろ破綻しそうな気がするけど、人物関係とか展開を簡単にする装置になるのだろうなあと思うとちょっと辟易としてしまうものが私にはあります。
何というか久慈氏、あんまり理詰めとかインテリジェンス(※単純に「知性」といった意味合い以外も含む)なところから話を詰めていくことはしない特徴がありますよねとも思っております。

 

ヘンリー六世:
歴史のほうのヘンリー六世、私は結構好意的に捉えていたりします。少なくともこの時代において王の器が一切なかったひと。害悪なくらいの優しさもどきを無茶苦茶に振舞ったりもするシェイクスピアの『ヘンリー六世』(3部作)読もうぜ、ジャンヌがなかなかいいキャラで描かれてもいるぜ。
本作においてもブラッドがサマセット公の下にいる以上はもっと出番があるものと思いますが、もう少し詰めて描かれることがあるのだろうか。そこを楽しみにしたい。

 

マーガレット:
描き方によってはこの作品の好感度にかなり関わると私は思っている人物。結婚から薔薇戦争終結に至るまでに存在感ありまくりの重鎮。ただ、1巻時点ではやはりどうするつもりかはあまり分からないことにしておこう……しておこう……。
多分、「作品として描く上で」という意味で、久慈氏のきらいなタイプの女性ではないと思うのだけれど、どういうふうにやっていくのだろうなあ。